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2011年3月

2011/03/28

「津波てんでんこ」

高さ23・6㍍といえば、6~7階建てのビルぐらいか。東日本大震災で岩手県大船渡市を襲った津波である。2㍍で木造家屋を破壊、鉄筋コンクリートのビルでも耐えられるのは4㍍までだ。あれから2週間、解明が進む津波の正体に驚かされる▼「射流(しゃりゅう)」が起きていたことも東京大地震研究所の分析で分かった。大津波は陸の近くで前面が〝水の壁〟となるが、その壁が崩れ、薄い水の層となって押し寄せる特殊な津波だ。「非常に凶暴で秒速7~10㍍の高速で進んで家をなぎ倒す。膝下の水位でも人がさらわれる」と都司嘉宣(つじよしのぶ)准教授は警告する▼すさまじい破壊力とスピードを兼ね備えた"怪物〟。家族が目の前でさらわれた被災者も少なくない。地獄絵のような光景が目に浮かぶ。自然とは、かくも恐ろしいものか▼三陸地方に「津波てんでんこ」という言葉がある。「てんでんこ」とは「てんでんばらばらに」の意味。共倒れにならないよう人を助けようとせず、なりふり構わず逃げろ、という教訓だ。広めたのは大船渡市の津波災害史研究者、山下文男さん(87)▼隣接する陸前高田市での検視の結果、死因の大半は溺死だと分かった。孫の写真や大切な人からの手紙…。非難の際に持ち出したと思われる品々が遺体とともに見つかった。避難所の寒さに備えたのか、上着を7枚、重ね着した年配女性の遺体も。一瞬が生死を分けた▼家族の愛もろとも奪い尽くす津波が、何とも恨めしい。津波てんでこ。悲しい言葉だけれど。かみしめるしかない。    3/26 熊本日日新聞(新生面)より

2011/03/20

大震災被災に関する記事?2より

同じ心を、昔の人は歌に詠んでいる。<うらぶれて袖に涙のかかるとき人の心の奥ぞ知らるる>。さした昵懇(じっこん)の間柄でもなかったあの人が、憎まれ口を叩きあったこの人も…◆失意と逆境のときに触れる他人の情けほど、骨身にしみてありがたいものはない。米国はもとより、中国やロシアを含む十数か国から援助隊が来日し、東日本巨大地震の被災地で困難な救援活動に加わってくれている◆外電という形で届く〝情け〟もある。英紙インデペンデントは一面全面を使って「日の丸」のイラストを揚げ、日本語で<がんばれ、日本。がんばれ。東北>と書いた◆デイリー・ミラー紙は宮城県南三陸町の被災地ルポを載せ、<泣き叫ぶ声もヒステリーも怒りもない。日本人は黙って威厳をもち、なすべき事をしている>と感嘆をもって伝えている◆イタリアでプレーしているサッカーの長友佑都選手がピッチで揚げた「日の丸」に<一人じゃない みんながいる!>とあった…。いま、こうして書いていて、文字がにじんでくる。あの地震が起きてからというもの、涙を燃料に毎日を生きている。そんな気がする。                     3/17 読売新聞「編集手帳」より

大震災被災に関する記事?より

「核」という字のなかは「亥」(=イノシシ)がいる。<原子核には原子力をになう猪/…今は人に飼いならされているけれど/いつまで、おとなしくしていることか>。吉野弘さんの詩『漢字喜遊曲・亥短調』にある◆地震で破損した福島第一原子力発電所から高濃度の放射能が漏れ出た。檻を破ろうとするイノシシと、それを許すまいとする人間と、極限の攻防がつづく◆政府と東京電力の統合対策本部が被災5日目にようやく発足したこと、原発の監視が仕事の原子力安全・保安院から9時間にわたって何の説明もなかったこと…など、連携の悪さも指摘されている◆不眠不休で危機封じに没頭しているさなかに背後から批判の矢を射るつもりはない。経緯は経緯、今後は今後。連携こそが〝命綱〟であることを胸に刻み直したはずである。それでいい◆おそらくは飲食もままならず、暴れ狂うイノシシの檻を文字どおりの命がけで封じている現場作業員の皆さんには、小欄に目を留める余裕はなかろう。それでも告げずにはいられない、あなた方の仕事に日本じゅうが今、手を合わせて祈っている---と。                               3/16 読売新聞「編集手帳」より

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