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2005/05/06

アンネのバラよ何時までも

アンネのバラ」とは

戦後、ただ一人生き残った父親オットー・フランク氏はオランダのアンネの隠れ家を訪れ、荒れ果てた裏庭にアンネが好きだったバラの花を見つけて「アンネが生き返った」と喜びました。これを聞いて隣国のベルギーの有名な育種家デルフォルゲ氏がやって来てこのバラの種を貰い交配を重ねて「アンネのバラ」と命名して父親オットー氏に捧げました。それ以来「アンネの日記」と共に平和のシンボルとして知られている。

アンネのバラ」相原バラ園へ

1975年東京都杉並区立高井戸中学校の小林桂三郎先生が「アンネの日記」を授業の一環として生徒達に感想文を書かせ、文集「暗い炎の後に」を刊行されました。その文集に喜んだオットー氏は御礼として3本のアンネのバラを高井戸中学校に贈られました。たまたま愛媛県松山市でバラ園を経営されていた相原嘉寿雄氏の甥が同中学校の生徒だった関係でアンネのバラと会うために上京し感激の初対面をされ、小林先生からその枝を頂かれ、松山市に持ち帰り、バラ園で接木をして我が子のように育てておられます。

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