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2005/05/06

1980年代の西山中学校

‘9711/15発行の西山中学校創立50周年記念誌「せいざん」に高木寛氏が寄稿されたものより抜粋して載せます。

        [高木寛氏は2000年10月13日ご逝去(72歳)]

1985年4月から1987年3月まで2年間PTA会長を仰せつかりましたが、今にして思うと学校にとって極めて重大な時期だったように思います。それに先立つ数年前から全国的に中学校は混乱期に入っていました。西山中学校も例外ではなかったようです。これを収拾する為に秋森校長、松浦教頭先生が赴任してこられ、名校長のもと全先生方は、まず指導に一貫性を持たせる事で生徒の信頼を取り戻そうとされました。授業や朝夕の会の報告、連絡を密にして、その成果は年度別に「研究収録」の分厚い報告書になっています。次に汚れた環境の中では生徒の心もすさむばかりと、校長自ら荒れてしまった廊下や破れた壁や落書きされた机など修理し、便所の吸がらを拾って回るなど全校で環境美化に取り組まれした。その結果、校風も刷新された中に子供を西山に入れたことを喜んでいました。そんな時に突然「いじめ」事件が起こり、新聞、テレビで一斉に報道され、折角手の入れた誇りを失い生徒も保護者も絶望の淵に立たされてしまいました。PTAとして早速、臨時総会を開きました。その前に問題を起こした生徒のお母さんが校長先生に「皆さんの前で土下座して謝らせて下さい。」と申し出られましたが、「今一番心配なさっておられるのは貴方たちです。どうか後ろの席で見守って下さい。」と慰められました。「こんなお母さんがおられる限りこの学校は立ち上がれます」と高木PTA会長に言われました。会員で会場は一杯になり、活発な意見が交換され、今回の問題で学校を非難する意見はまったくなく、我々の子供が起こした問題の責任はPTA側にあり、家庭教育を徹底することが重要であるという結論に達しました。そして「学校教育を吸収できる人格を家庭教育の中で育てよう」という決議を力強く宣言し、この決議文を市の教育委員会の永井指導課長に提出したところ涙を流して感激されました。このようにして危機を脱しで再出発したのですが、マスコミから傷つけられた生徒達の心を癒す事は容易なことではなく、数年かけて育てられた西山中の誇りを取り戻すことは極めて困難なことでした。

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コメント

はじめまして。当時教頭であった父の事をあらためて知ろうと思い検索しておりましたら、こちらにたどりつきました。懐かしく記事を読ませていただきました。

現在は釣りとブログ更新、トイプードルの世話とすっかり丸くなった父ですが、元気で日々を過ごしているようです。

オニオンさん ご訪問頂きありがとうございます。
文が苦手なので記念誌より転載しました。その中にお父様が次期校長先生になられた時に(「アンネのバラ」きっと咲く)と見出しの新聞記事も載っていました。50周年記念式には秋森元校長先生や高木さんも出席されていました。その翌年1月に50周年記念事業の事務局長をされていた櫻井教頭先生が50歳という若さで急死されました。次女が中3の年でした。

西山中を検索していてたまたま記事を拝見しました。高木寛の息子です。
当時のことを懐かしく読ませて頂きました。ありがとうございました。

私の長女は既に西山を卒業しましたが、長男が今年から西山に入りましたのでまた薔薇園を毎週のように眺めてます。
今年は城西小もアンネの薔薇を沢山植えたみたいですので来年の春にでも見に行かれて下さい。

たかきさん ご訪問いただきありがとうございます。
「アンネのバラ」と聞くとお父様の事、西山中PTA委員時代の頃を懐かしく思い出します。

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